個人の責任_原発事故に寄せて

投稿日:05.02.2011|カテゴリー:Blog, 原発事故・地震・天災|コメント・トラックバック:0件

今回の大震災により、犠牲となられた皆様に深く哀悼の意を表するとともに、
被災された方、そのご家族・関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします。
・・・・・・・・・
学生時代は原子核の研究をしてきました。核融合炉・原子炉のブラケット材。
忘れていた多くのことを思い出させる今回の事故です(現在進行形)。
大変厳しい事故ですが、これらはすべて天災によるものと言われますが、
人災の側面が全く無いとは言えないと感じます。
そして、
人の責任や判断力とは何であるかを改めて考えさせるものです。
通り魔には裁判で厳しい判決を言い渡されるにもかかわらず、
このような事故で、今後多くの被災者に迫り来る大きなリスクに対しては
何も責任を取らなくて良いのでしょうか?
(とれないから良い?、始めから取る必要が無い、容認している皆さんが悪い?)
学生時代、核爆弾に対して何に問題があるかということを考えたことがあります。
ひとえに、
「個人の責任」
ここに行き着きます。
現場だろうが、大統領だろうが、ボタン一つで多くの損失を、極めて長い時間
与えてしまうことだと・・・。「個人の責任」の重要性を感じます。

多様性(個人主義)が無責任に向かうなら、未成熟社会。後々の子供達に対し、了解無しに、負の遺産を多く残すのであれば、それは極めて問題でしょう。
多様性(個人主義)の大前提は、責任ある(=未来に対してベクトルを示せる)行動・言動を取れることです。すべての人が(能力さえあればトップになれる可能性のある社会=活力のある社会)責任ある社会こそが必要であり、成熟した社会で、今後のあるべき姿と思うのですが・・・
システムがそれを阻んでいる・・・当然の「システム」の姿なのですが・・・。

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